夕野かのんの書斎

皆さんこんにちは、夕野かのんです。小説書きます。

ちょっとした小話

皆さんこんにちは。初めましての方は初めまして。お久し振りの方はお久し振りです。夕野かのんです。

この度は「黒く、赤く、そして白く。」と「差し込む光、光合成」をお読み頂き、誠にありがとうございます。

さて、堅苦しい挨拶はこの辺にして本題に入りましょう。

お気付きの方もいらっしゃるとは思いますが「黒く、赤く、そして白く。」と「差し込む光、光合成」の2作は繋がっております。
今まで繋がった話なんて書いたこともなかったし、こういう作品は2作目以降が駄作になる、と言う謎の偏見も持っていたので読んだこともありませんでした。
そんな私が何故続き物を書いたのか、そしてきっと2度としないであろう、題名解説もしようかと思います。

先ず、「黒く、赤く、そして白く。」ですが、実はこの作品、正真正銘、私が最初に完成させた作品です。
夕野かのんとして活動する前、私が何者でもなかった頃です。
この作品は私が中学生の頃に書きました。
小学生の頃から小説を書くことを夢見ていた私ですが、それまで1度も完成させたことがありませんでした。
そんな私が何故完成させることができたのか。
それは単純に解ってくれる人が欲しかったんだ、と思います。
実はこの作品の中に出てくる「死にたい病」は正しく私が患っていました。
小学生の頃から、何かがあると「死にたい、死にたい」と1人で部屋に閉じこもって呟いていました。
当然、こんなことなんて家族にも友達にも言えませんでした。
でも誰かにこの気持ちを解ってほしかったんだろうな、と思います。
だから自分と同じ気持ちを持った誰かに会いたくて、気持ちを解ってほしくて完成させたんだ、と思います。

「差し込む光、光合成」は私が初めて書いた作品です。
今、自分が幸せで、私を幸せにしてくれた誰かに出会えたのにこの子だけ昔の私に縛られているこの状況が駄目だ、と思いました。
そして、「黒く、赤く、そして白く。」は自分の好きなことに蓋をしているところも、死にたい病を患っているところも、欝なのに誰に伝えても解ってくれないのも全部が私のことだったので、当時、中学生だった私に「今、私はこんなにも幸せだよ。元気に毎日を過ごしてるよ」って伝えたかったんです。
そして私と全く同じ境遇に合わせてしまった彼に、彼自身の幸せを与えたかったです。

「黒く、赤く、そして白く。」で少年の名前がなかったのは当時の私が特定の誰かだけではなく、全員がこの気持ちを持ってて、つらい思いをしてるんだ、って思いたかったんだろうな、と思っています。
だからこそ、先程言ったように、彼自身の幸せを手にしてほしかったから「差し込む光、光合成」で彼に「安田快登」という名前を、彼だけのものをプレゼントしました。

〜ここからは本当に小話〜

「黒く、赤く、そして白く。」に句点があるのは、いつかその不幸は終わるから。
「差し込む光、光合成」で句点がないのは、その幸せは終わらないから。

2作品共、題名が臭いのは青春が臭いから。
離れると解るけど青春って真っ最中のときは気付かないけど、思ってる以上に臭い。
学生時代ってどんだけつらくても青春だったような気もするから。

「黒く、赤く、そして白く。」はもう紙媒体として当時のものは残ってないけど心に残ってたので書き殴ったような作品の感じは残しつつ、書き直した。

ヤスくんが関ジャニ∞安田章大のファンになった理由としては、人を笑顔にさせてくれる趣味って何やねんって思いながら某音楽番組観てたら彼の笑顔があまりにも素晴らしかったから。

     *

今ザッと思い出しただけですが小話は以上です。
他にもあったわ!って思い出したらまた付け加えるかも知れません。

中学生の私は本当に周りの友達に合わせて趣味を作り変えていました。
両立させよう、とか自分は自分だ、何てのは1つも思い付きませんでした。
その時点で私は友達を信用してなかったんだと思います。
ただ1人、私が「死にたい病」を患っていて、時折そのせいで発作が起きてつらいんだ、と伝えられたYちゃんが高校が一緒か、通学路が一緒だったら高校生の殆どの時間を不登校で終わらせることがなかったのかな、と思う時があります。
でもきっと高校でできた友達は私がアニオタじゃないって言っても友達のままでいてくれたような気がします。
その頃はアニオタじゃないとこれ以上の関係は作れない、と思っていたんですけど。
だからこそ、今の私はヤスくん同様、好きなことは声を大にして伝えています。
Twitter見たら一瞬ですね。

アニメを今拒否してる訳ではないです。
良い作品にそんな小さいこと関係ないです。
量や種類は減っていると思います。
でもそれが私の「好き」であって今の私が蓋をしていいものではないんです。

だからこそ、皆さんも好きなことは好きでいいんです。
解ってもらえなくても自分がそれから目を逸らしてはいけないんです。

それでは皆さん、またお会いしましょう。